紅桔梗

Twitter(yu_907)SNS等でつらつら書いた拙い文章をまとめたり、映画やアニメ、書籍の感想だったり。

トロン一家という家族の温度

SNSでの発言を自分用にまとめた記事です

 

トロン一家の二次創作周りを見渡してると「完璧でなくてはならない」みたいな解釈を散見するんだけど、なるほどなーと思った。 そもそも私の中で、「人間としての根っこの部分、生まれ持ったものという意味で、トロンに一番似てるのはIV」みたいな考え方があって

「息子(家族)とはこういうものだろう?」「僕達は家族だからこうなんだ」と、家族という理想形が存在するよ、というやや俯瞰的な立場を取るⅤやⅢに対して、 トロンやIVは「自分は父親として~」「俺は息子として~」ってところに重きを置くんだよね。 「自分は」「こうでなくてはならない」義務感

「自分は良き父親ではなかった(子供と一緒にいられなかったという意味→子供を復讐の道具に使ったという意味、の二重の意)」とか、「自分は褒められた息子ではなかった」というのが先行していて、「本当はこうでありたかった」という後悔が、乗り越えられないままずっとそこに存在してる

よく考えなくても、トロンはバイロンだった頃にフェイカーに対して「私は彼の友人でありたい」「彼に異世界の扉を開けさせてやりたい」(55話)っていう、「こうありたい」の思考で動いていて、その中で父親としてそれなりに模範的な「良き父」をしていたはずなんだよなあ

「高貴な○○を忘れてはいけないよ」ってもう遊戯王ネタの鉄板みたいになったけど、その「高貴さ」って一家の個人それぞれの認識としては少しずつズレてて、一番それを「高望みしない」「真っ当に生きていれば高貴でいられる」を体現してるのはⅤだと思うんだよなぁ

バイロンの持つ「高貴さ」って、勿論育ちの良さもおおいにあるんだけど、それでもそれなりに「そうなりたくて」そうなった気がして。 だからわざわざ「高貴であることを忘れるな」と言葉にする。 で、父を尊敬していたⅤは、無意識的に「高貴さ」を体現できるように育った

Ⅲも似たようなもん。父親の教育の通りに育ったから、「期待に応えられない」をIVほど強いコンプレックスとして持ってない。 逆に、できない自分を抱えて、追い立てられるような、縋るような、理想に絞め殺されるような、そういう側面が強く出てるなあと、トロンとIV見てると思う

デュエカの各ルートを見てると、特にそれが顕著に見える。多面体を転がして、いろんな側面からあの家族を見れるところが、あのソフトのすごいところ。