紅桔梗

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ゼロの執行人視聴後の個人的な感想と考察のまとめ

[内容はぷらいべったーにアップしたものと同じものです] 

 

いろいろ考えてたらすごくぐちゃぐちゃになったしちゃんと校正してないので大目に見て。
まとまりがない。オチもない。なにか気づいたら追記修正する。


一番最初の項目長いけど、書きたかったのは2番目以降がメイン あと最後。

降谷零(スコッチも?)ってもしかして、公安警察から組織への純粋なスパイではなく、むしろ逆である可能性が高いのでは?という話。

 

 

 

 

  • 羽場二三一の番号について


「じゃああの人は何番だったの!?」の熱演すごく胸が痛んだ。


これ明言はされてないけど、「彼は“自殺とされた時点から”警察の公安の協力者なの?それとも違うの?(単純に番号が存在するのか)」と「(繋がっていた確信が既にあって)警察公安と彼は“いつから”繋がっていたの?」っていう二通りの解釈ができる。
「全てはNAZU不正アクセス事件から始まった」「一年前まで検察公安に協力者がいるなんて知らなかった」の台詞を鍵として分解すると。


前者「彼は今、警察の公安の協力者なの?」場合。
風見が渡したメモによって解放されたのは、境子だけではなく(番号を振られていない)二三一も含んでいて、「会いたければここに行くといい」の言葉は、警察公安から示された境子のこの先の道筋。「公安の言いなりではなく全て私の判断で生きてきた」と自負する境子は、公安の示した道(羽場のもとへ行くこと)を拒否してひとり立ち去った。
この場合の降谷は、NAZU不正アクセス事件の発生時に検察公安に協力者が存在することに気づき、検察には協力者を扱う能力がないと判断したため、自殺にみせかけて保護したことになる。
経過としては、不正アクセス事件→協力者がいると気づく→検察には協力者を扱う能力がないと判断→取り調べ後の自殺とみせかけて保護 の順。

 

後者「彼は元々警察公安の協力者だったの?」の場合
→この場合の彼は、公安警察と公安検察の二重協力者。

公安が協力者につけるナンバリングが“協力者になった順番に割り振られるもの”だとした場合、羽場の番号が境子より若ければ、羽場は境子より以前から公安警察の協力者だったことになる。

「一年前(NAZU不正アクセス事件)まで検察に協力者がいるなんて知らなかった」というのは、あくまで公安の組織として事実を認知した時期のことであって、それ以前から羽場が公安警察の協力者であった場合。
元々協力者であった羽場を日下部に接触させ(ここで境子を監視につける)→不正アクセス事件で検事の能力を試した→検察には協力者を扱える能力が無いと判断し、引き上げさせる→自殺として処理した、ということになる。
それを踏まえると、境子の台詞は「私が好きになったのは、公安に作られた、ありもしない男のことだったの?」という解釈ができる。

補足:小説版ゼロの執行人ではこの直前、境子が「もしかしたら、羽場への感情も公安に操られたものだったのかもしれない───」と思考で語っている。


どちらの場合もその後、岩井検事を出世させることで、“自ら使えもしない協力者を囲うような日下部”から権限を取り上げた。また、羽場の自殺に関して降谷は「公安警察は、もう二度と公安検事が協力者など使えないように」と発言していることから、警察公安はこの一件で完全に(日下部に限らず)検察の公安から捜査手段の大きな部分を根こそぎ摘み取ったことになる。

これ、降谷の後ろにあるものを考えるとちょっと怖いことなんだけど、別の切り口から書いたほうがいいと思うのであとで書く。


個人的には、前者は物語と羽場の日下部に対する態度をそのまま受け取ったもので、「降谷が不正アクセス事件前に検察に協力者がいることを察知できた可能性」は、元々受け持つタスクの大きさから容易なことではないと感じる。
逆に、後者は羽場の日下部に対する信頼を揺るがす内容であるし、境子の台詞が“ナンバリングは協力者になった順番と合致する”前提ありきの深読みだとも考えるが、
トリプルフェイスを扱った作品で、「安室/降谷は大々的に描かれたのに、“バーボン”については謎が残ったまま終わった(黒田の無声台詞)」のと「警察公安の庇護下に置かれた羽場/検察公安の羽場はそれなりに登場したのに、司法修士生(事務員)の羽場の詳細は名言されないまま終わった(私の不採用につきまして~くらいしか出番がない)」のは、果たして無関係と言えるのか?というのは、考えてみる余地があるように思う。

 

 

 

  • 降谷零の言う「ふたりの僕より怖い男」について

初見ではとくに何も考えず赤井とコナンの二人を指してると思った。で、降谷が現在抱いている二人への感情を分解してみる。


作中で降谷はコナンに対して「君の本気の力が借りられるだろ?」と発言している。つまりコナンに寄せているのは“期待”であり“希望”だ。降谷は「僕は公には捜査ができない」という立場上の無力さを理解した上で、「警察は証拠のない話には付き合わない」→ならば事件性を示唆する証拠を出すことしか自分には手段がない、ということを自覚して一連の行動を起こした。
コナンを“協力者”に仕立てることで、この苦境を乗り越えられるはずだという期待をかける根拠が、なにをするかわからない、奇想天外な解決策を見つけてくる恐怖あるいは畏怖の類のものだとすれば。


赤井に対する感情は“恐怖”ではない。現在の降谷が彼に抱いているのは、スコッチが死亡した時点で芽生えた明確な“失望”だ。
「あれほどの男が、何故」と発言しているように、その能力を認め評価し、「救えたのではないか」という希望を元々は抱いていたはずだ。
「自分(あるいはスコッチ)の力になってくれるのではないか」という希望はこの時点で打ち砕かれ、そして「優れた能力を、使うべき時に然るべき手段で適切に使えない人間である(=スコッチを救えなかった)」ことが、恐怖すべき対象ではないと認識するきっかけにはなりえないだろうか。


「僕が僕より怖いと思う二人の男」に赤井がカテゴライズされないのなら、もうひとりはだれか?
私は黒田兵衛の線が強いと思う。次項で書く。

 

 

 

 

  • 黒田兵衛という男

作中の「ぬかるなよ(バーボン)」本誌予告の「急げよバーボン」このタイミングでの類似する発言。これを同一人物からの発言だとするなら、これまでの伏線とも照らし合わせて、黒田=裏理事官=RUMでほぼ確定する。

そもそも黒田が降谷に潜入捜査を命じている可能性もあるので、黒田が降谷=安室=バーボンを認識していること自体には問題はない。
ただ、あの場の、本来なら警察官同士として交わされていたはずの言葉の中で、黒田が「バーボン」と呼びかけていたのであれば事情は変わる。それは明確に、黒田が警察ではなく黒の組織の一員として、“バーボン”に命じている。

組織の人間が、組織の人間として、カプセルの迎撃を命じているのだ。
それによってもたらされる結果は警視庁を守ることであり、ひいては日本を守ることである。

降谷零にとっての確固たるアイデンティティは、「恋人」というまで日本という国を思っているという点だった。しかし今作では黒田視点、“バーボン”が“日本(警察)のため”に行動していることになる。

そして先述した、「公安警察は、もう二度と公安検事が協力者など使えないように」という発言。警察公安はこの一件で完全に(日下部に限らず)検察の公安から捜査手段の大きな部分を根こそぎ摘み取った事実。
これは公安警察に必ず有利になる一件であるし、公安警察に所属する降谷(バーボン)に有利に働く。ひいては黒田、最終的には組織のためにもなるのでは。

 

 

 

  • 降谷が赤井を追うメリット

公安警察の降谷としての立場を使い、黒の組織のバーボンとして赤井秀一を追っているのでは?
赤井秀一を見つけ出して拘束するメリット、よく考えなくても、公安警察として赤井を追うより、組織の人間としての方が遥かに大きい。
ジンの過激さとライの言葉が際立つせいで、「組織は裏切り者を殺す」というイメージが先行するが、なにも拘束したあとの使い方は死体にするだけではないし、組織としても公安の人間としても、降谷の後ろにいる黒田には赤井を拘束したい理由が他にあるのでは。

 

 

 

先述したように、降谷零にとって唯一絶対とも言えるアイデンティティは、「日本という国のため」である。そして今作で、それは“黒の組織バーボン”としても成立することがわかった。
つまり黒田の支配下にある降谷にとって、“組織のバーボンとして存在すること”と“日本という国を守ること”は矛盾しない。
そこに“純粋な警察官であること”は必要ない。

「降谷零が幼少期、組織中枢の人間である宮野エレーナと繋がりがあった」という事実。あくまで推測だが、幼少期から現在まで、組織との繋がりが途切れていないのであれば、降谷が元来組織側の人間であり、組織の思想を持ったまま、RUM、あるいは組織の命令で警察になった可能性も捨てきれない。また、その条件にはスコッチも該当する。

彼はあくまで警察官という身分を持っているだけであり、法律を遵守しているわけではない。警察官としての姿でも組織の一員としての姿でも、共通するアイデンティティは“日本という国のために動く”ことだけである。
「警察」「黒の組織」といった立場はさして意味を持たず、ただなんらかの理由で日本に強い思い入れがあり、そのために生きているのではないか。

風見は「目的のために手段を選ばない」類の人間だったが、降谷は「目的のためにこそ手段は選ばなければならない」と言った。それは警視庁の風見よりも多くの手段を持ちうる警察庁公安の人間としての言葉ではなく、“日本を守るために選べる選択肢を、組織と警察のふたつ持っている”降谷だからこその言葉だったのではないだろうか。


降谷の本籍とも呼べるであろう立場が、警察ではなく組織にあるのでは?というのはまた別に書く。

 

【追記】RUMから直接降谷に連絡が飛んでくる(本誌)ようになったのは、RUMが手元に置いて重宝していたキュラソーが死んだから、とも考えられる。

【追記】スコッチは警視庁の公安警察で“降谷零の幼馴染”。パンフレットに載っていた高木の発言に、「公安部に配属されるのは基本的には選抜で、ある日辞令が来る」というのがある。
その権限を黒田兵衛が持っているなら、スコッチが警視庁採用試験に合格した時点から、黒田(=RUM)の意思で公安部に配属させることは可能。

 

 

  • 降谷が日本に固執する理由は?
  • 黒の組織が存在することで日本という国が得られるメリット→そもそも降谷視点、黒の組織は日本にとってマイナスなのか? という問い
  • 赤井を「殺したいほど憎んでいる」のは何故か→本当に“スコッチを救えなかった”ことだけが理由→黒の組織の介入は許せて、FBIの介入は許せない事情があるのでは
  • スコッチは何故死んだのか→「公安であることが“やつら”にバレた」=黒の組織とは明言していない。また、その台詞は自殺する直前のもので、“赤井がFBI捜査官であることを明かした後”にもそう思っていた可能性さえある。やつら=FBI捜査官の可能性は?
  • スコッチの遺体はどこにあるのか(本当に死んだのか?)

 →赤井はその場から立ち去っている。他の第三者は見当たらないので、降谷が回収することは物理的には可能

これらを踏まえて、降谷零はホームズではなくモリアーティではないか?という仮説はこちら

 

yu907.hatenablog.com



 


〇脚本すごいなと思った点

これ回数重ねる度にどんどん増える気がするぞ……

まずケーキが溶けた!の時点ですごい。平和な20分のアニメのはずなのに、劇場版への暗示が多すぎる

警察庁:警視庁:検察庁の力の差や持ちうる権力が主題に置かれた今作で、子供たち3人が役割をそれぞれ分担し、結果それが日本を守ったというふたつのトライアングルの対比が巧妙。

毛利が容疑者に上がったときに動揺する刑事たち。ここでも見えてくる「立場あるがゆえの無力さ」。公には捜査権がない降谷零が常々味わってること。

劇場出たあと「前回までのより全然犯人わからなかった~」って言ってる人がいてせやろな……と思った。誰がなんのためになにをして、何が一番悪かったのか。もちろん白鳥落としたやつが犯人なわけだけど、誰が悪かったのか、となると必ずしも日下部ではない。

 


刑事もの強い脚本と、アクション強い作画スタッフたくさん揃えた結果のクオリティがたまらんかった。あと今後の本誌がマジで怖くて震える。