紅桔梗

Twitter(yu_907)SNS等でつらつら書いた拙い文章をまとめたり、映画やアニメ、書籍の感想だったり。

嘉納火炉を中心に、PPVVついてぐるぐる考えてみる

PSYCHO-PASS Virtue and Viceを見てきました②
 
(観劇直後に反射的に書いた支離滅裂な方はこちら↓) 

yu907.hatenablog.com

 

 
!公演中の舞台のネタバレがあります!
 
考察というには拙い
目と頭の足りていない人がちょっと冷静になってから自己消化のためにうだうだ書いたもの
回数重ねてない&記憶がたいへん曖昧&思い込みで突っ走るので、的はずれなこと書いてるかもしれない
台詞は一字一句覚えてるわけじゃないので細部が違います
 
嘉納のことばっか書いてる
 
語れる人が……欲しい……(切実)
 
後述するけどこれたぶん作中時間2118~19だと思う
 
!のっけから盛大なネタバレがあります注意!
 

 

 
前提
 
・九泉は脳外科手術を施されたいわゆる 哲学的ゾンビ(自覚なし)
・嘉納はシステムに色相と犯罪係数を改竄されている
 →が、本人は「執行官時代の方がよかった」と発言
 
 
冒頭のシーンについて
 
この作品は九泉が母親を撃ち殺すシーン、つまり九泉の「配属初日の記憶」から始まる。しかしこの記憶は、シビュラによって植えつけられたものだということが後に判明する。
 
その場面で、嘉納がその場に駆けつけていた。
 
「嘉納が母を撃つ九泉を見た」ということは、九泉の視点からは「その場に居合わせた」という事実に見える。
しかし嘉納の視点では、架空の記憶に居合わせることはありえない。嘉納にとっては、九泉の「母親を撃ったという記憶そのもの」を知ったと言うことだ。
 
つまり冒頭のあのシーンで、嘉納は九泉の真実を知る。
 
「九泉が何者で」「彼にとっての“母親の記憶”は何なのか」を知るのが冒頭のシーン。
この時点で“裏切り”をすでに実行しているかはともかく、作中ではヒューマニスト(後藤田)と繋がりがあるので、外科的処置でそれが出来るということは既に知っているorすぐに知ることになる。
要するに嘉納は、九泉がある意味で、自分と同じシビュラの実験体であることを知るところから作品が始まる。
 
そしてこの舞台はふたりの監視官が、造られた母親の投げかけ続ける問いの答えを探すための物語だ。
 
 5/6追記「実際にこの場に居合わせる」はずはないので、「嘉納の厚生省入りは九泉よりも先」の証明にはならないのですが、実際どちらが先なんだろうな……と考えたりはしました。
 
 
 
嘉納と大城の決裂
 
このふたりの間には、絶対的な壁がある。
 
潜在犯が軍人(大城の父)にたくさんお世話になる機会はおそらく滅多にないだろうので、色相がクリアカラーで普通に生活していた頃から交流があったと考えるのが自然。
 
ふたりが潜在犯となり執行官になってからも、良好な関係を築いていた。嘉納がシビュラによって数字だけの色相改善を施され、監視官になるまでは。
 
「火炉さん」と呼びかけていた大城は彼を「嘉納さん」と呼ぶようになったし、苗字で呼び捨て合う三係の執行官たちも同じように「嘉納さん/嘉納監視官」と呼ぶ。立場が変わったことで、名前の呼び方だけではない関係の変化もあったはずだ。
 
「監視官になったところで、所詮は潜在犯だからな」と自分の思考を評した嘉納は、本当に数字以外は、昔と変わらない。彼の人間性は、大城と並び立っていたあの頃のままだ。
 
ふたりの間にある壁は、「シビュラによる色相判定の数字」ただそれだけ。それだけの断裂が、あまりにも根深いものになった。
変わることを余儀なくされた嘉納は、本質的にはなにも変わっていないのだ。そのやるせなさが、シビュラに対する懐疑と心理的抵抗を生んだ。
 
 
「昔みたいに火炉さんって呼んでもいいんだぞ」「…や、立場が違いますから」の会話。
きっとあれは嘉納からの精一杯の歩み寄りで、「火炉さん…あ、」と口走ってから結局「嘉納さん」と呼ぶのは、その自覚がないにせよ、歩み寄りを拒絶した形になってしまった。
嘉納と大城のそれぞれ少しずつずれた意味合いで「もう並び立てない」ということになる。
 
「落ちる人間とのぼる人間がいる」大城は自分と嘉納の立や関係をそう言葉にしたけれど、嘉納にとってそれは、賞賛にも、救いにも、慰めにすらならない。
だって本当はそんな綺麗な世界じゃないこと、嘉納が一番よく知っている。あの場所で、嘉納だけが知っている。
 
どうしようもなくすれ違ったふたり。大城の無垢な言葉は、嘉納一切救わない。救えない。
 
 
「自分よりクズだと思う奴らをぶちのめすとスッキリする」と大城は言った。
 
嘉納はそれを「お前がそう思って生きている限り、親父さんの教えは意味があったってことじゃないのか」と肯定する。
しかしその命を終わらせるのは嘉納だった。
 
「俺を殺してくれ」という台詞は、「大城が暴力の対象にしないはずの、大城よりも(色相判定という意味で)優れた俺を殺せ」という意味になる。
大城の父親の教えの意味を、消失させる選択肢を提示しているのだ。
 
大城は従わなかった。だから嘉納は、最後にはその教えごと弟分を撃ち殺すことになったわけだけれど。
 
最初の頃は比較的執行官に近い立場で九泉をたしなめていたはずの嘉納が、後藤田との戦闘では大城を庇うことも共闘することもなく、ただ静かに見下ろしている。
あの場面ではもう、明確に「飼い主」と「猟犬」に立場が分たれている。
 
怪我をして、それでも「嘉納さん」についてきた大城は、兄貴分の「殺してくれ」を聞いたあと、言葉による歩み寄りや対話を試みるけれども、ふたりの関係が以前のように戻ることはもう二度とない。
大城は最後の最後に、もう火炉さんとは分かり合えないことを、腕の中で銃口の冷たさを感じながら悟ったのか。
 
 
(それも踏まえて「シビュラへの害意」がありながら「仲間殺しになりたいわけではない」人ではあったとも感じるので、「ナンバリング殺人事件の捜査権が2係から移った」ときの嘉納の表情を確認したい。この人、途中から表情ごっそり抜け落ちるけど、喋ってないときは前半でも笑っていないときがあったように思うので……)
  
 
5/6追記
一番最初の3係オフィスの会話で、
嘉納「お前は噛み付きそうだな」
大城「そんなあ、野良犬じゃあるまいし」
というものがあったけれど、首輪から解き放たれた“野良犬”は嘉納の方だったんだな……。
 
 
嘉納が、「犯罪係数が一番高いから」という理由だけで九泉に疑われていた相田を気にかけたのは、彼自身が「犯罪係数が低いから」という理由だけで監視官になった、逆の苦さを味わっているからなのかな、と。
5/6追記
相田が疑われることに関連した場面、死亡者が出たあとで裏切り者探しが始まり九泉と嘉納が言い合いになるとき、初見ではあまり気にならなかったんですけど、ライビュだと嘉納がガチギレしていて震えました……。こんなに感情あらわにキレたの、他にあった?ってレベルで露骨にブチギレていて……(震え声)
 
 
5/6追記
大城がさあ、九泉に「俺が出たい!現場行きたい!」アピールしてるのを九泉が選ばないとき(中国語の部屋のくだりの前?)、大城の後ろ(死角)で九泉の方見ながら上から大城をひょいひょい指差す嘉納ほんと可愛かった……可愛い……優しい兄貴分……。
 
なんかね、オープニング前のライブハウスでの仕事のあと、オフィスに監視官がふたりで戻ってくるとこ、嘉納が「だったらお前(九泉)は俺に仕事を譲れ」って言ってて、ああこういうところが大城と組んでた由縁なんだろうなって……思っ…………(つらい)
現場大好きなバディだったんだろうな……そりゃ「あの頃のままでいたかった」って言うよなあ……。
 
私、大城の台詞が初見のときの記憶から抜けてて、二度目でようやく思い出したんですけど、「上に行くやつ、落ちていくやつ」って言葉は、「もう一緒ではいられない」絶望と、尊敬するひとが上に行ったという喜びの板挟みの結果だったんだろうな……。
嘉納にとっても大城にとっても、寂しさは確かにあったはずなのに、それを口に出せない立場の差があまりにも大きい……。
 
 
 
 
九泉晴人はなにものか
 
九泉の犯罪係数上昇は、多くの監視官(狡噛や宜野座のように)ストレスの蓄積によるものだと考えることもできるけど、
元々(脳以外の)肉体にあった感覚的な自我のようなものに記憶が侵食されていくことによるものとも解釈できるな、と私は思った。
 
哲学的ゾンビ、というのがどういうものか、私たちは個人の主観で判断するしかない。それは、客観的に証明できるはずのない存在であるから。
九泉晴人という人格がどこに依るものなのか、私たちは思いを巡らせることしかできない。
 
ただ、彼がたとえ生理的な反応だとしても、葛藤しながら見えない問いの答えを探し、色相を濁らせていったのは事実。
たとえ書き換えられた記憶を頼りに生きていたのだとしても、犯罪係数は悪化することを、彼はその存在をもって証明したのである。
 
彼にはどんなふうに物事が見えて、なにを感じ思考して、一体彼を彼たらしめているものは何なのか。
 
人間とは、人間らしさとはなにか。そしてシビュラとは、色相とはいったいなにか。
それを問いかけるキーワードが哲学的ゾンビという存在であり、九泉晴人というキャラクター。
 
 
 
それから、「中国語の部屋」という概念、「哲学的ゾンビ(九泉)」とイコールで結べる気がしている。「今回の犯罪の手口」とも結べるから、ダブルミーニング的な感じで……。
中身はからっぽだけど反応は人間と同じだから、外からは普通の人間に見えるという具合に。
 
中国語の部屋について教えていただけますか」と九泉が言ったとき、禾生が心なしか声を弾ませていたのは、その皮肉めいた因果がわかっていたからでは。
 
コミカルな描写を挟むとはいえ、中国語の部屋という思考実験の説明をするときにあの部屋の中に入ることになったのが、その部屋そのものと類似した存在である九泉だったのは、皮肉なものだと感じる。
 
 
 
 
嘉納と九泉
 
嘉納は大城を見殺しにするが、自らの真実を知った九泉には手を差し伸べる。その手は取られなかったけれど。
 
「やはりわかり合うことはできないのか」という台詞は、嘉納が九泉を自分と重ねるような期待が、少しはあったという裏返しなんだろうな……。
 
5/6追記
嘉納と相田の会話の中で、「あいつは俺の気持ちはわからないだろうが、わかりあえると信じている」というのは、ただ「執行官を信じる」というもの以上の意味があった。手は、取られなかったけれど。
 
 
最後の「シビュラの手のひらの上で踊らされていた」というのは、「自分が実験体であったことに気づくこと」ももちろんだけれど、
「実験体が(その社会的に恵まれているはずの状況にすら)不満や憤りを抱いて歯向かうことまで見越していたのか」、という意味でもあるのかな。自己同一性の喪失がもたらす個人への影響すらも、わかっていて泳がされていたのか、という。
 
 
興味深いな思うのは、現役の執行官は「更生施設よりまだマシ」「執行官は潜在犯の希望」と言うのに、嘉納は「昔のほうが良かった」と吐露すること。
監視官という誰もが羨むようなエリート中のエリートとしての立場を持ち、外出の自由があり、部下を従える権利を得て、それでも尚嘉納は、「あの頃は良かった」と感じる。
 
それは仲間に対する後ろめたさなのかもしれないし、彼自身のアイデンティティの崩壊なのかもしれないし、もう誰とも並び立てない特異さゆえの孤独なのかもしれない。
その全てかもしれないし、もっと違うなにかかもしれない。
 
人間という生き物はどうしたって、誰かと自分を並べて不安になったり安心したり、でもひとりでいることにも孤独を感じて、持たないものに思いを馳せたりする部分があって、そんなところもきっと、彼らの人間らしさのひとつなのかもしれない。
 
ふたりは最後、「潜在犯は不要な存在なの?」という問いに答えを出す。前述した通り、「九泉の母親の記憶」はシビュラに植え付けられたものであり、それはつまりふたりにとって、「自らの存在に対する疑念」そのものだ。
 
真実を知り、行けるところまで行ったふたりは、それぞれに正反対ともとれる答えを出す。
九泉は「潜在犯は犯罪者ではない」と、 嘉納は「潜在犯は所詮不要な存在である」と。
 
物語の幕が上がってすぐ、九泉や嘉納、そして観客に問いかけられた「潜在犯は要らないの?」という問いに対して、舞台上のふたりが潜在犯として、あるがままの姿で出した解答だ。
似たような境遇にいながら、出した答えはまるで正反対。同じ潜在犯でありながら、そして同じ場所に勤めていながら、監視官として生きた一瞬の時間の中で感じたものは、得たものは。同じであって、そして絶対的に違うものだった。
道は交わっても、同じであることはない。だから九泉は嘉納の手を取らなかったし、嘉納も心のどこかで期待を捨てきれないながら、それを理解していた。
 
5/6追記
→実はこの問いに対する答え、嘉納だけは最初から出ている。
オープニング前のライブハウスへの捜査の際に、「シビュラはお前が犯罪者であることを知っている」との発言があった。
 
 
……母親の記憶から始まった疑念を、最後に二人で問いかけ合う構図、脚本としてあまりに優秀がすぎる。すごい……小説読んでるみたい……。
 
 
エリミネーターを向け合うシーン、単純な犯罪係数の急上昇ではなく、私はドミネーターがイレギュラー的に喋った時点でこれはいわゆる「特例」だと思っていて、彼らが引き金を引かずとも、シビュラの意思のみによってエリミネーターが射出される状態だったと考えてる。
例えば一期後半の宜野座の銃の異常のように、犯罪係数に依らないシビュラの直接的な介入だと考えている。要するに「用済み」だということ。
 
このふたり、美しい対照構造にあってすごいなと思います。それが時々交わっては、また対照的に離れていくの。
 それから九泉の「お前は昔から~」の台詞に、このふたりの付き合いの長さを窺い知ることが出来て、良い関係だな……と思います。
 
 
 
 
 
この二人のサンプルによってシビュラが得たもの
 
「執行官は潜在犯の希望」という言葉が何度か繰り返されるが、執行官に選出されたところで、その人間の個人の資質は変わらない。
嘉納もそれと同じで、監視官という立場や権限を得たところで、彼自身が変わるわけではないということ。
 
嘉納の場合、「立場や特権を与えれば、従順かつ使い捨てられる監視官が出来るのか否か」という実験になる。嘉納の場合の答えはノーだった。
 
→これ、「事前に合意の上で監視官になった」のか、「知らずに色相が改善し、のちに本人が捏造だと理解した」のかで少々意味合いが異なる。
 
・合意があってのことであれば、「潜在犯に監視官の役割が務まるか」という意味に
→シビュラの提案という命令を受け入れて実験体になったかたち
 
・合意がないのであれば、「色相が改善したのだと思い込ませることで、プラシーボ効果的に色相が改善するのか」という意味になる。→本人はあとから気づく
 
文脈的には「思い込まされた」が強かったように思うので後者かなあ。5/6追記 後者です。
 
そのアイデンティティの喪失が、彼の中に「人間とは何か?」という疑問を芽生えさせたのか。
 
 
九泉の場合はどんな理由で犯罪係数が上昇したにしろ、「外科的手術で犯罪係数そのものは改善する」ということの証明。
そして、徐々に色相が悪化していったということから、「必ずしも長持ちはしない」ことがわかったのは確か。
 
両者の一番の差は、外的なものか内的なものの違い。
 
 
 
(5/3追記)監視官両名の名前の由来について
 

ちょっとこじつけくさい気もするけど。

 

九泉は「黄泉」のことで、いわゆる死者の世界や冥土のこと。
晴人はそのまま晴らす人、という解釈。作中結構雨降ってたけど……。

 

「晴」という漢字は多様な意味を持つので、場面によって使われ方がだいぶ変わるのですが、基本的には前向きな意味合いが大きいです。
そのなかにひとつ、「疑いや心配事がなくなる」「悩みやしこりが消える」というものがあって、彼にぴったりの漢字だな、と思います。

 

生まれた経緯にしてみれば、最後の最後、九泉が絶望を受け入れる姿勢はおだやかなものであったな、と思うんですよね。母親の記憶と濁りゆく色相に追い詰められて、作中でずっと厳しい顔をしていた彼が、最後だけは穏やかな顔をしていたような。


彼の最期が、憂いのないものであったなら、それは少しは慰めになるような気がします。

 

死んでいる人と解釈するか、死にに逝く人と解釈するかは、見方が別れるなと思います。ある意味で、彼は2度死んでいる人なので……。

 

(幕が上がったとき、すぐに下の名前で呼ばれるけど、正直全然 晴人って名前らしくない主人公だな〜……って思ってごめんね九泉…………)
ちなみに「青」は澄み切っている様子のことで、太陽である「日」と合わせて生まれた漢字だそうです。

 

 

嘉納は、そのものの言葉の意味としては、「目上の者が、献上品などを喜んで受け取ること」。

 

分解すると、美しい、優れていて立派な、めでたいこと、を納めるの意。

納める先はシビュラか、この社会に対してか。

 

火炉は、いわゆる囲炉裏や火鉢のことで、暖を取るための火を置いて置く場所。

 

日本でまだ囲炉裏が広く使われていた頃、火は常に絶やされず家の中で燃えていて、空調だけでなく、調理や防虫という側面を持ちました。
この国の標準的な家庭における、一家団欒の象徴のひとつで、家族の会話が交される中心となる場所だった。

…………3係…………。

 

転じて、焼却炉ともとることが出来る。火葬。

 

優れていて立派なもの(色相)を、葬るための火が燻る炉。
それが一体なにかは、さまざま解釈の余地があるなとおもいます。


ちなみに旧字で書くと火爐。
戸も廬も建築物の意。

 

 

 
結局過去作の時間軸と照らすとどこなの(結論:2118-19?)
 
刑事課メモ
一期(開始時点?)2112年
監視官6名執行官12名分析官2名 総員20名
(業務の都合上、人数が大きく変動するため、予備の人員がいるときもあれば、欠員が出ているときもある、と併記)
 
-ヘルメット事件の発生-→目白の人生が大きく変わったのがこのあたり
1係の執行官三人が死亡・離脱 宜野座が執行官に
 
二期(終了時点)(2115年1月)
 
1係監視官2-執行官4(生存6/総員8)(2係から異動の須郷を含む)
2係0-0(0/6)(死亡3/監視官は潜在犯認定/執行官2人は他係へ異動)
3係1-2(3/7)(死亡3/2係から異動の波多野を含)
→この時点で壊滅状態なのは2係
 
※嘉納・九泉・常守は同僚(=監視官としての所属期間が重複している)
 
「海外のヤバいヤマ」がシャンバラフロートの件だとすれば、あれは2116年の7月なので、どうあっても2期より更に何年か先の話にはなると思われる。
 
「九泉の記憶を見た嘉納」という描かれ方をされているので断言どころかなんとも言えないんだけれども、全員が同じ事件に割り当てられるわけではない業務上、同係の人間が「九泉の配属初日」に執行官・監視官でなかった証明にはならない。(その事件を知らないこと≠九泉の方が配属が早いことの証明)
 
ていうか3係メンバー、年単位で公安局にいそうなキャラクターもいるんですよね。
 
霜月の「未成年者の登用は異例の人事」でしたけど、執行官に関してはその限りではなかったような気がした……(六合塚)
 
そもそもあの社会は、現在から数年伸びた高等教育を卒業すれば職業判定を受けて社会人になるのが普通なので、九泉のように「模範的なエリートコース」を装うのであれば、彼、20代前半なんだろうなあ。
 
九泉はともかく、嘉納は執行官として所属していた期間もそれなりにあるはずなので。配属順とかどうなっているんだろう……。
シリーズ恒例の履歴書みたいなあれ、舞台のキャラクターのも出してくれ……。
 
で、3期が2120年。
割と現実世界と100年あけて並行して時間が進んでいる節があるので、2118~19年とかだったりしても面白いですけどね……常守朱がだいぶベテランになってる……ふふ……。
 
こればっかりは、3期見てみないと判断つかないな……ってところ。
 
禾生と常守のやりとりは、必ずしも同一の時間に発生している必要があるわけではないかなあと思うしね。
 
 
 
それはそれとして3係、アニメの設定が生きているならコールサインが「ガーディング」と「ラーチャー」なはずなんですけど、なんかもうめちゃくちゃ可愛いね……?
わたし宜野座がシェパードなのも可愛いな……って思って見てたので……絶対描く……わんわん……
 
公安局のコールサイン、牧羊犬やいぬぞり犬が猟犬や軍用犬連れてるの、どこかピリッと辛い気がして好きです。
結局みんなシビュラの犬。
 
目下の私の悩みは九泉と嘉納のどっちがワンでどっちがツーなのか……。どっちが……先に……監視官に……なったの……かな……(事情が事情すぎてちょっと読めない……)